思念の滝壺

山に登る。

昭和史読了

『現代ミリタリー・ロジスティクス入門』『ノモンハンの夏』に続き、歴史・軍事への見識を深める読書第3弾として半藤一利著『昭和史 1926~1945』を読んだ。こんなの読んで一体どこに向かっているのかとも思われるかもしれないが、興味がそちらに向いているのだからしょうがない。実用的な利益を求めるというよりは純粋な好奇心に基づいた読書だ。ふだん理系の勉強ばかりしているからそちらの知識は普段の勉強で十分で、バランスをとるために趣味においては歴史について調べたくなるのかもしれない。

 読んでいて終始気になり続けたのは見るに堪えない日本人の情けなさだ。陸軍が満州事変を謀略の形で起こしても始まってしまったものはしょうがないと容認してしまった若槻内閣、ノモンハンで暴走する将校を毅然とした態度で統制することのできなかった参謀本部、軍事予算獲得のために日独伊三国同盟に賛成へと翻ってしまった海軍ーー。挙げていくときりがないほどに、他人や雰囲気に流された場当たり的な判断を下している場面が目立ち、その失敗の積み重ねによって日本の敗北は必然的にもたらされたのだと深く痛感した。第二次世界大戦前後で主要各国には強力なリーダーが現れている。アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルソ連スターリン、ドイツのヒトラーといった具合だ。そのような、強力な主導権をもち、自らの責任で国家を引っ張っていくリーダーが日本に存在しなかったことが日本の指導者層の無責任な姿勢を象徴しているように私には感じられた。

 日本人は必ずこの屈辱の歴史から学び、二度と同じ過ちを繰り返さないように自らの姿勢を正さなければならないと思う次第だが、現代の国家全体に漂う雰囲気からはまったくそれができていないことをひしひしと感じている。最近で印象的なのは、東京オリンピック開催に必要な労働力を、人件費を一切払おうとせずボランティアという形で動員しようとしていることだ。労働には対価が支払われなければならないという常識を完全に無視し、人が集まらないので宣伝に多額の費用を割いているという。かたちの無いものには金を払いたくないという卑小な精神性が感じられるうえ、「東京オリンピック成功のために国家に無料で奉仕しろ」という国家総動員法に通ずるもののある思いが見え隠れしている。このようなお粗末な仕事をしているのはおそらく官僚なのだろう。頭がよくて昭和史ぐらい知っているんじゃないかと思うのだが、やはり何も学んではいないのだろうか・・・

 最後に、半藤一利氏が述べる昭和史の教訓を引用して結びとしたい。

 

1.国民的熱狂を作ってはいけない。また、それに流されてはいけない。

2.最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的、理性的な方法論を全く検討しようとしないこと

3.日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある

4.ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦は降伏文書の調印をしなければならないという国際的常識を日本人はまったく理解していなかった。国際社会の中の日本の位置づけを客観的に把握していなかった。

5.何かことが起こったときに、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急的な発想をすること

 

うーん、自分も気を付けていきたい。