思念の滝壺

山に登る。

皇海山クラシックルート山行録~庚申山荘なんてなかった~ ①準備編

はじめに

6/15(土)から6/16(日)にかけて皇海山に登ってきた。

足尾地域のはるか奥地に鎮座する秘境の山だけに登頂までの道のりは非常に長かったが、その過程で山歩きの楽しさを存分に味わわせてくれた印象的な山行だった。

 

本エントリは登山計画と一日目、拠点のキャンプ場での宿泊までの記録になる。

 

 

皇海山の概要と現況

皇海山は栃木県と群馬県の県境、足尾山地に属する一座で、標高は2144m。ちなみに読み方は「すかいさん」。周囲を前衛の山々に囲まれた秘境に位置しているため、登ろうとすると必然的にアプローチが長大になる。

 

以前は群馬県側から登るルート「不動沢コース」が存在しており、そちらは数時間で無理なく往復できるお手軽ルートだった。しかしながら、登山口へつながる栗原川林道が崩落により通行止めとなり、いまだ復旧の目途はたっていない。

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すなわち、現在は栃木県側から庚申山を経由して登る、いわゆるクラシックルートしか利用することができないのだ。クラシックルートは、標準コースタイムが14時間越えであることから分かるように道のりが非常に長く、道中にある庚申山荘で一泊することがほぼ前提とされているルートである。*1

 

そして事態をさらに悪化させているのが、クラシックルート唯一の拠点である庚申山荘も今年の4月に利用停止してしまったことだ。

kajika.info

 

これにより、登山者に残された皇海山への道は一つになってしまった。そう、クラシックルートを日帰りで制覇することである。

 

...そんな試練を与えられたらかえって燃えてくるじゃないか!ということで登山決定。

 

登山計画

早朝に登山開始するのは必須なので、前日に登山口の銀山平キャンプ場まで移動し、テント泊することに決定。テントは張りっぱなしにし、荷物を軽量化して登山に挑む計画だ。

それを踏まえて、東京からの移動は

東京→(特急)→日光駅→(路線バス)→赤倉バス停→(徒歩)→銀山平キャンプ場

となった。ここまでアクセスの難しい山も珍しいぞ。

青:前日移動。赤:クラシックルート

1日目:6/15(土) 銀山平キャンプ場へ

JR日光駅

10時ごろに東京を出発して日光駅へ到着。ここで足尾行きのバスへ乗り込んだのだが、中禅寺湖など他地域への路線と比べると乗客は少なく、また車両自体も小さめであった。

 

日光の錚々たる観光資源と競い合ったら足尾が引けを取るのはまあ仕方なさそうだ。産業遺産という一種地味なカテゴリだし、鉱毒事件の負のイメージが絡んでしまっていることも否定できない。

 

ただ、今回の旅に関してはその侘しさがかえって足尾や皇海山の秘境感を際立たせており、歩くのがずっと楽しかった。

 

なにせ、赤倉バス停で降りてすぐに見えた景色がこれだ。

この廃墟感!

古河橋(明治に建設された道路用鉄橋)

ここにかつて満ちていたであろう銅鉱業の活気を想像しながら、銀山平までの峠道を越えていった。

地形が全体的に険しく、大規模構造物が多い

ここにも古い橋

過去の爪痕なのか、山肌が露出気味の岩峰が多い

備前楯山への登山道も

そして銀山平へ到着。

銀山平にはキャンプ場に加えて宿泊施設の「国民宿舎かじか荘」があり、15時までなら日帰り入浴も可能とのこと。なおさら登山を15時までに完遂しないとなあ、と俄然やる気がアップ。

かじか荘

いざ場所を取りに訪れたキャンプ場も利用者がほとんどおらず、悠々とテントを張りつつベンチを占有することができて快適だった。GWと夏の狭間という微妙な季節だからだろうか。

持ち込んだ駅弁で早めの夕食

 

その一方で、登山者専用駐車場には多くの車が停まっていて意外だった。庚申山荘利用停止で諦める人が多いと思いきや、実は私のように燃え上がっているタイプが多いのかもしれない。

 

登山口の位置を確認したり、テント泊装備を抜いて荷物を軽量化したりと明日に備えつつ、アイマスクと耳栓を装備して早めに眠りについたのだった。

 

登山口

 

二日目へ続く!

 

trthff.hatenablog.com

 

 

*1:皇海山周辺は日光国立公園に含まれているので、野営指定地以外でのキャンプができない。登山道上に野営指定地はない