はじめに
屋久島縦走2泊3日の記録。
2日目はこちら。
今回は3日目 3/25(月)、新高塚小屋を出発して屋久杉や雲水峡を見つつ下山、温泉や宮之浦観光を経て帰還するまで!
たくさんの屋久杉との出会い、太鼓岩からの絶景、白谷雲水峡の観光、下山してからの楽しみと、屋久島で過ごした3日間の中で最も濃密な1日だったので、エントリも最長になると思う。気長に読んでもらえればさいわいだ。
縦走の果てに出会う縄文杉
例のごとく朝は4:30に起床、そそくさと準備を済ませて6:00には新高塚小屋を出発した。
行動着や靴はすでにずぶ濡れなので着るのには抵抗があるが、乾いた衣服だけは着替え用に守り抜かなければならない。決然と全身湿った格好にチェンジするのだった。
雨は夜通し降り続けていたが、早朝になると勢いは収まり小雨になっていた。この3日間の中では良心的な方だ。
今日この道を進んでいけば、いよいよ縄文杉をはじめとするネームド屋久杉たちに出会うことになる。縦走の大半を終えた達成感とともに期待感と高揚感に満ち、歩調は確かになっていった。
高塚小屋をすぎてさらに歩を進めると、ある点を取り囲むように設けられた巨大なデッキにたどりついた。そう、縄文杉だ。
縄文杉に抱く第一の印象は、「すげえ元気そうだな!」というものだった。
7000年もの時を経て幹や枝は空前絶後の太さになり、自重に耐えられなくなった枝が次々に落ちて行ってみすぼらしい姿になってしまってもなんら不思議ではないはずだ。にもかかわらず縄文杉はいくつものしなやかな枝を空に向けて生き生きと伸ばし、たくさんの葉をつけている。これからも元気に生きていくという縄文杉の意志が見えるようでこちらも活力をもらうことができた。
この後も名前の付いた巨大な屋久杉にたくさん出会うことになるが、その多くは老人を彷彿とさせる歴史の重みが刻まれた見た目であり、それらと比べてやっぱり縄文杉が一番活力に満ちて見えた。さすが屋久島のアイドル、これからも末永く枝を伸ばして大きくなってほしい。
そして、縄文杉を皮切りにしてネームド屋久杉ラッシュが始まる!
鉄道跡をたどる道
縄文杉・夫婦杉・大王杉・ウィルソン株・翁杉を眺め終わったところで道は安房森林鉄道に合流。なんと、かつて木材の運搬や森林の管理に使われていたであろう鉄道の中央に木道が走っている。
安房川北沢の北側をトラバースするこの道は、楠川分れで分岐するまで3kmほど続いた。起伏が少ないので快適に歩けるし、杉と広葉樹が混交する周囲の植生を眺めながらの行程だったので飽きることがなかった。
ちなみにこの辺で観光客とおおぜいすれ違うようになる。4人~10人のパーティで歩いてくる集団が多く、半分以上はツアー客と思われた。荒川登山口には早朝に路線バスが走っているので、そこから出発した人々だろう。
長く続いた鉄道にも楠川分れで別れを告げた。鉄道自体はここから先にもずっと伸びているが、白谷雲水峡を目指すにはここで北に方向転換し、辻峠に登る必要がある。
白谷雲水峡へ向かうにあたっては懸念点があった。雨による増水だ。
辻峠から白谷雲水峡へ続く道には渡渉点があり、地図には「雨天時渡渉注意」とある。場合によっては渡れない可能性もある。
その場合には辻峠に登り返して楠川別れに戻り、鉄道沿いを直進して荒川登山口に下山するというエスケープルートを想定していた。
絶景の太鼓岩へ
少々の登りを経て辻峠に到達すると、太鼓岩への道を見かけた。
もともとは太鼓岩に寄る予定はなかったのだが、せっかくなので行ってみることに。
太鼓岩に寄って本当に良かった。景色がすばらしかった。
岩の上からは一気に展望が開け、南西の峡谷部が見下ろせた。谷を覆う森にはとりどりの色が点描のごとく入り乱れ、杉の濃緑、広葉樹の若緑、そして極めつけには山桜の薄桃色が視界のいっぱいに広がっていた!中央には川が流れて景色に一本の軸を通し、うっすらとかかる霧と相まって秘境の一枚絵を見事に完成させていた。
晴れでもそれはそれで素敵な景色だったろうとは思う。が、私には、霧に包まれ誰にも見つかっていないかのような仙境の眺めが特に好ましく、しばらく太鼓岩の上に佇んでいた。全体を通してガスに包まれていた山行の中で、最も広く景色を見渡すことができたひと時であった。
夢幻のような時間を終えて白谷雲水峡への道に移ると、今度は島民が名前を付けた屋久杉の数々に出会う。いずれの杉も命名センスが抜群である。
杉の地帯を終えて標高を下げていくと、事前に懸念していた渡渉点にさしかかった。
飛び石の上を渡れない程度には増水していたが、危険な流れというほどではなく、すでにびしょ濡れな膝から下を躊躇なく川に突っ込んで堂々と渡った。
正念場を抜けて一安心、この先は観光地として整備された白谷雲水峡で、危険個所はなかった。強いて言うなら丁寧に整備された石畳がかえって滑りやすくて怖かった。
白谷雲水峡からは宮之浦に向けた路線バスなどが走っており、一般的にはそれで下山することが多いようだ。
しかし、自分の足で海岸部まで完全に下山できる道も実は存在する。楠川歩道だ。
楠川歩道は藩政時代、島津藩に屋久杉を年貢として納めるために拓かれた運搬用の道であり、数百年の歴史を持っているそうだ。『山と高原地図』には、通行者はほとんどいないもののしっかり整備されていて道は明瞭とあった。楽しそうだし迷うリスクも少ないならということで、楠川歩道を歩き、自分の足で海まで下山することにしたのだった。
楠川歩道、歴史に思いを馳せて
雲水峡から楠川歩道への入口は若干分かりづらかった。舗装道を東に進んでいくとやがて舗装が途切れて荒れ気味の林道となる。それにめげずに200mほど進むとようやく小ぢんまりとした入口が見えてくる。
楠川歩道は前情報の通り、登山者のいない割には進むべき方向が明瞭な良い登山道だった。踏み跡はところどころ薄くなっているのだが、ピンクテープによるガイドが非常に親切で、迷いそうになった時には顔を上げてあたりを見渡せばすぐに進路を定めることができた。
ただし、いくつかの困難もあった。
まず、とんでもなく滑った。岩石の組成がこれまでの道と異なるのだろう、黒みがかって表面のつるつるした岩たちは、雨で濡れていることと合わせて圧倒的低摩擦係数を実現。特に下りで滑るのは危ないことこの上ないので、おっかなびっくり慎重に下りていく必要があった。
こんな滑る道で材木を運搬していた江戸時代の人たち、さぞ苦労したことだろう...
また、渡渉点も一か所あった。地図には書いていないながら、明らかに雲水峡の渡渉点よりも幅が広く水深も深い要注意ポイントであった。まあ、地図の詳しさは人気ルートとバリエーションルートでかなり差があるから仕方ない部分ではある。楠川歩道を通るような物好きはこの程度の渡渉に支障がないことが前提だろう。
注意点はありつつも、総じて楽しい道のりだった。白谷雲水峡までで縦走は一段落ついていたので、一歩踏み込んで森を味わえるエクストラステージの感覚で歩いていた。
気温は20度を超え、すっかり夏の森の匂いに包まれる中で林道へ合流、楠川歩道は終わりを告げた。この時点で13時であった。
屋久杉伐採の様子を眺めたり、次第に増える路肩の花を愛でたりしつつ林道を降りていくと、ついに森は途切れ水平線が目の前に。ようやく海岸線まで下りてきたのだった。
リフレッシュ in 楠川温泉
楠川集落から海岸へ出るとようやく磯の匂いが。険しい山を下りたら一瞬で海というのもすごい環境だ。
この時間帯になってようやく雨が止み、空は曇り模様ながらクールダウンにうってつけの過ごしやすい気候になってきた。
山行は終わり、天気は改善となると、ずぶ濡れの自分が気になってくる。風呂に入ってリフレッシュしたい...!
近くで入浴可能な場所を調べると楠川温泉があった。距離にして1.5km先、歩くのに若干躊躇する距離ではあるものの、どうせここまで何キロメートルも歩いてきたんだ、ここからちょっと追加しても変わらんという精神性で向かうことに。
楠川温泉には助けられた。たまった汚れも水分も疲れも吹っ飛ばし、乾いた服装にチェンジできたので気分は最高!
据付のシャンプーとリンスがどちらか分からず髪はキシキシになったがそれはご愛敬。
リフレッシュしつくした後に最寄りのバス停(楠川温泉入口)から宮之浦へ移動、屋久島最後の時間を使って散策しに向かった。
宮之浦散策
宮之浦には益救(やく)神社があったので、まずそちらへ向かった。
ご利益と救いがある神社、そう書いて屋久島と同じ読み方なのが非常におしゃれだ。ちなみに屋久島はかつては掖玖島とも書いたらしい。
神社のそばでは、かつて屋久島のガイドを何年も務めていたという方に話しかけられた。屋久島に住んでいたが、家の老朽化につき東京に移住するとのこと。登山・ガイドの経験も屋久島の知識も豊富で、屋久島おすすめの飲食店を教えてもらったりと楽しくお話させてもらった。登れるうちにいっぱい山に登るべきと激励を受けたので、いっそう頑張っていきたいものだ。
次第に空港へ戻る時間が近づいてきた。最後にお土産だけ買って宮之浦を後にしよう。
また会おう屋久島
屋久島を芯まで楽しみつくし、もう悔いはない!清々しい気持ちだ。
明日からの平日に備えてしっかり帰るぞという気持ちで屋久島空港に到着。早々にフライト準備を整えたが残念な知らせが。
鹿児島空港へのフライトが1時間ほど遅延&視界不良により福岡空港へ着陸する可能性があるとのこと。しかも鹿児島空港から羽田へのフライトも見事に1時間近く遅延。
けっきょく福岡空港に着陸することはなくて助かったのだが、羽田に着陸した際にはすでに23:30。いくらアクセスが良い羽田でもすでに終電が怪しい時間だ。幸い、なんとか東京モノレールの終電にも山手線の終電にも間に合ったため、自宅にできるだけ近いところまでは電車で到達、徒歩を最小限にとどめてようやく帰宅することができたのだった。タクシー利用で旅費アップも覚悟していただけに救われた。
休日に予備日がなく、予約したフライトも最後の便だったために慌ただしい帰還とはなってしまったが、怪我をすることもなく、事故が起こることもなく、無事に楽しみきることができた充実の3日間だった!