はじめに
GWの前半を使い、「大峯奥駈道」を3泊4日で縦走してきた。
大峯奥駈道とは、熊野本宮へ参詣するための道「熊野古道」の一つにして、吉野からスタートして紀伊山地の最深部を100km近くに渡って縦走する最も険しい修験道である。
移動距離は1日平均で20kmを超え、まさしく修験道にふさわしいハードな行程となり、自分の体力の限界を試されるような旅であった。また、そのようなきつさだけでなく、信仰と深く結びついた道に沿って建つ神社仏閣や碑の数々、紀伊山地最深部の山深さ、先々で出会う奥駈道を愛する人々の温かさなど、数多くの魅力に触れることができた印象的な山行となった。
その記録をブログにも残しておこうというわけだけれど、いつもの山行録形式だと3泊4日は長くなりすぎる気がした。そこでちょっと趣向を変えようと思う。
本エントリでは、まず旅のハイライト(印象的だった瞬間)をいくつか挙げてみたい。そのついでに、反省点や教訓の振り返りもここに記し、同じく奥駈道へ挑戦しようという人へ役立つエントリにできればうれしい。
時系列順の山行録は、いわばおまけとして②以降で書いていくつもりだ。
それでは山行の全体像から。
ざっくり日程
下の画像が奥駈道の全体像だ。北の吉野駅をスタートして紀伊半島の奥地へ入り込んでいく様子がよくわかる。距離は100km以上、合計獲得標高は8000mにも及ぶびっくりのロングトレイルとなっている。
ここを4日間の行程で歩いた。
1日目 4/27(土)
前日夜に夜行バスに乗って朝8時にJR奈良駅へ到着。近鉄で移動して吉野駅に着いた11時から山行は始まった。
天気はわずかに雨の降る曇り。1日目から頑張って距離を稼ぎ、山上ヶ岳山頂手前あたりで力尽きたのでそこでテント泊となった。
2日目 4/28(日)
天気は快晴。6:30ごろから行動を開始し、山上ヶ岳・大普賢岳・弥山・八経ヶ岳といった核心部のピークを踏んでいく気持ちの良い縦走日となった。八経ヶ岳を越えた先の楊子ヶ宿小屋で宿泊した。
3日目 4/29(月)
天気は午前中に曇り、午後から雨。釈迦ヶ岳を越えたあたりでいよいよ南奥駈道と呼ばれる領域に入り、細かいアップダウンを越えていく。途中から雨に見舞われながらも行仙岳を突破、行仙宿山小屋で一夜を明かした。
4日目 4/30(火)
早朝に雨は止み、天気は曇り。最終日として最後に立ちはだかったすべてのピークを乗り越え、ついに熊野本宮への参詣を果たした。歩行距離は4日間の中で最長となった。
旅のハイライト
女人禁制が今に生きている
この大峯奥駈道、今も伝統を守り続けている証拠として、途中に女人禁制の区間がある。
ともすれば現代では男女差別として問題にされそうなセンシティブな問題ではあるが、女人結界門の横にある立て看板に目が行った。それには、女人結界が宗教的伝統であり、現地の信仰に生きる人々が男女ともに納得して守っているものだということが丁寧に説明されていた。
価値観は変わりゆくもので、いつかは女人禁制もなくなるかもしれない。でもそれは現地の人々が自身で決めることであり、少なくともよそ者である我々が何か言うようなことではないのだろう。
ちなみに昔は大峯山域全体が女人禁制だったらしい。なんて大規模な。
快晴の2日目、景色も楽しめた
2日目は、奥駈道の中でも最も標高が高い区間を、しかも晴れの中歩けた会心の一日だった。見るものに事欠かない伝統の修験道とはいえ、やっぱり自然の景色も見渡せるのに越したことはない。
乏しい水場をつなぐスリル
「水場の少なさ・頼りなさ」。奥駈道の一番の難しさといっても過言ではない。もっとも、歩いてみて初めてそれを実感できたのだが。
特に弥山以南は水場の間隔が広いし、渇水期には枯れやすい水源ばかりで注意が必要になる。
弥山小屋では本来飲み水を販売しているらしいので、2日目はそこで水補給することを期待していた。しかし、あいにく小屋に主人がおらず、水タンクも空。弥山小屋周辺では思わぬ水不足に困っている人が大勢いた。
私は幸い1Lほど水を残していたので、弥山をそのまま突っ切って八経ヶ岳を越え、2日目宿泊地の楊子ヶ宿小屋で水場にありつくことができた。楊子ヶ宿小屋の水場もチョロチョロといった程度の頼りなさでヒヤヒヤだった。
ついに得た補給、コーラで百人力
奥駈道前半には営業している山小屋がまるでなく、水場からの水以外に補給を受けずにずっと歩いてきた。それだけに、3日目も後半に差し掛かったころ、持経宿の玄関口でコーラが無人販売されているのを見た瞬間の喜びも大きかった。
粋な計らいに感謝しながらコーラを3本買い。2本はその場で直ちに飲み干した。
水分と多量の糖分を一気に摂取できる、しかも美味いコーラはエクストリームスポーツのためにあるかのようだ。
フィジカル的にもメンタル的にも一気に力を取り戻し、行仙宿までの行程をガシガシと歩ききった。
行仙宿は奥駈道の最優秀山小屋
3日目の宿泊地として選んだ行仙宿山小屋は凄かった。
新宮山彦ぐるーぷという、南奥駈道の整備に貢献している団体が経営しているそうなのだが、宿泊費2000円とは思えないほど至れり尽くせり、サービス・施設が異様に充実した慈善事業かと疑うレベルのところだった。
- 小屋番の方々がめっちゃ親切。登山者としてやっておきたいことによく気が付いて一人ひとりに世話を焼いてくれるし、お菓子やお湯や山の情報を惜しみなくくれるし、極めつけに夕食時には豚汁を作ってふるまってもらった。
- 小屋が広くて快適。詰めれば30人ぐらいは泊まれそうな空間で中央には薪ストーブもあり、服や靴をいくらでも干せる。毛布も貸してもらえたのでシュラフを使わずに寝た。
- 発電機やソーラーがあるそうで、モバイルバッテリーを充電させてもらえた。まさか充電できるなんて想定してないのでケーブルを持ってきていなかったが、なんとmicroUSB端子まで取り揃えられていて問題なかった。
奥駈道のフィナーレ、熊野川渡り
最後の最後まで激しく続くアップダウンを越えると、最後には広々とした河原にたどり着く。熊野川だ。
熊野川を裸足で渡るのが奥駈道のフィナーレになる。
これが最高に気持ちよかった。良い天気の中、ほどよい冷たさの澄んだ川を、膝上まで浸かりながら一歩一歩進んでいく。100kmを歩ききった晴れやかな達成感とともに。
天然のアイシングであり足つぼなのだから一気に疲労が取れた。そして、川を渡るという象徴的な行為を終えたことで、これで山行が終わったという精神的な切り替えにもなった。
これだけのために奥駈道を頑張る価値すらあるといえるくらい、忘れられない、すばらしい体験だった。
ぼろぼろの熊野本宮参詣
心はすっかり観光モード、最後の力でもって社殿まで足を運んだ。
参詣を終えて時刻は16時ごろ、ここで夜を明かすことにならなくてよかった。いちおう野営場はあるらしいが、快適な宿泊になるとはいいがたいだろう。
バスで新宮駅、新宮駅から特急南紀で名古屋駅、名古屋駅から新幹線で東京へ帰還した。
奥駈道を歩くコツ
まず道の特徴として、最後までアップダウンが激しい。玉置山を越えた先、標高1000m以下の区間であっても、100m単位の登り返しが何度も襲い来る。油断せず体力・時間・水分に余裕をもっておく必要がある。
そして、水場が少なく頼りない。特に南奥駈道で顕著な特徴だが、稜線上の水場はかなり少なく、そしてそれらもしばらく雨が降らないだけで枯れてしまうらしい。直近一週間の降水量を事前に調べるとともに、常に多めの水を運ぶことが重要な山域だ。参考までに、私は合計3Lのペットボトルを携行した。最終日はゴール手前で水を枯渇させてしまったが、途中で水場をスルーしてしまったせいなのでそれを含めれば足りていた。
最後に、奥駈道攻略にあたって新宮山彦ぐるーぷの支援がこの上なく頼りになる。公式サイトでは水場情報や詳細マップなどの重要情報が無料でダウンロードできるので、計画を立てる際には大いに参考になるはずだ。また、南奥駈道の水場が乏しい区間を埋めるように三か所の山小屋(持経宿・平治宿・行仙宿)を経営しており、そちらもとても頼もしい存在だ。
個人的反省点
- 下調べがいくらなんでも不足していた。新宮山彦ぐるーぷの存在は知っていてしかるべきだったし、各山小屋の営業状況も調べておくべきだった。現地に着いて初めて閉まっている小屋を見て絶望するのはまずい。
- 食糧計画が甘かった。いちおう3泊4日を無補給でやりぬける程度にそろえたつもりだったが、それでも最後には消費しつくした。
- 最終日朝、ヘッドライトが点かなくて出発が遅れた。電池を替えたばかりだったのでてっきり本体の故障かと思っていたが、帰って点検してみると本体は健在、替えたはずの電池がもう切れていた。替えの電池は6本持ち込んでも良いかも。
- 避難小屋に泊まる際はアイマスクと耳栓を持ち込むと万全。2日目夜の楊子ヶ宿小屋において、周囲のいびきや寝返りやヘッドライトが激しく、しっかり寝付けずにまどろんで一夜を過ごした。
- 自己ベストの長距離を歩いたことで、歩き方自体の問題点も浮き彫りになった。
- ちょっと傷を作りすぎ。下りでしばしば転ぶことが原因なのだが、他の登山者が転んでいる様子などあまり見たことがない。下りは意識せずともペースは出るので、急がず確かな足場を確保することに集中力を傾けるべき。
- 長距離を歩いて疲労がたまり、アップダウンに終わりが見えなくなってくる中で道を恨みだしていた。この道をこのペースで行くことを決めたのは自分であって、道のせいにする道理はない。過程を楽しめなくなるくらいだったら、もっと余裕のある計画でゆったり歩く方がよほど良い。
- 最終日、ゴール手前で張り切り過ぎて熱中症気味になり、そのタイミングで水が枯渇するという最悪の状況になった。追いついてきた人に心配してもらい、行動食を分けてもらった。また、通りかかった公園にあるトイレの手洗い用の水を、腹を下すリスクを甘受してでも飲んだ。これらをもってなんとか体調を復活させたが、熱中症になるような激しすぎる運動量・思いのほか高くなっていた気温・補給を忘れていた水といったような要因が重なって起きたことなので反省したい。
続く?
わりと書きたいことは書き切ってしまったな。気が向いたら細かい山行録も記録したい。