思念の滝壺

山に登る。

雑記

タイムパラドックスについて

時間遡行を行って現在と矛盾する行動を起こそうとしたときにおこる現象について、

  • そもそもできない(そうならないように世界ができている、運命論)
  • 現在と関連のないパラレルワールドとなる
  • 現在にその変化が反映される

という3つの仮説が主に唱えられているが、個人的には2つ目のパラレルワールド説を推している。

 

我々人類が3次元空間に渡って身体として存在しているのと同様に、時間というもう一つの次元についても(一方向に時間が流れているという認知によって自覚できないだけで)連続した一体の個体になっている。世界についても同様で、時間まで含めて連続的に構成された4次元時空がこの世界だとするならば、「タイムトラベル」という現象を考えることはそれすなわちこの世界と異なる別世界を考えることに他ならないのではないか。

この考えをもう少し具体的に書いておきたい。

 

まず前提として、時間は空間の3軸に連なるもう一つの座標軸であり、これらと質的な違いは存在しないとする。

この前提に基づいて、例えば「過去に戻ってある時点での自分の身体に変更を加える」ことを考えると、ここで行っていることは「1つの空間軸方向(ここでは試しに鉛直軸、人の頭から足元までを貫く座標軸としよう)に垂直なある平面(つまり床と平行な平面)において自分の身体に変更を加える」ことと物理的に等価である。

ここで「変更を加える」に時間的な推移は許されないことが問題であり、つまり自分の身体のある一断面に変更を加えられた状態を、加えられていない状態と全く同じ時刻に用意するというのが今我々が行おうとしていることだ。つまり、我々が生きている通常の因果関係の中では不可能なこと、全く関係がないもう一つの世界を用意しようとしている。これと等価な「過去に戻ってある時点での自分の身体に変更も加える」でも、変更を加えられなかったその時刻と、変更を加えられたその時刻の双方を同時に(並行に)存在させようとしているわけだ。

つまり、タイムトラベルという行為、今に生きている我々が別の時刻に移動する、という行為を行おうとした時点でパラレルワールドの発生を前提として暗に認めており、逆にパラレルワールドが発生するという不可思議を認めないのであれば、SFなどで考えられるような文脈でのタイムトラベルを考えようとしても矛盾が生じるのは必然なのではないか、ということを言いたい。

 

ただ、SFをはじめとする創作世界におけるよくある感じのいわゆるタイムトラベルを考えるとこうなるんじゃないかというだけで、相対論や最新の物理学に基づいた時間的な移動の概念はこれと異なるかもしれない。その辺は理論物理学者の方に聞いてみたいものだ。