思念の滝壺

山に登る。

「おつまみ」という概念の謎

はじめに

これは自分が幼少の頃に感じていたお酒とおつまみに関する疑問と、それに対する成人した自分による答え合わせを、忘れないうちに記録するエントリである。

 

子どものころ、どう感じていたのか?

幼少の頃から、おつまみという概念が謎だった。

 

味の濃い目な食べ物に相対したときにお酒が欲しくなるということばが出てくる場面は多く、また、文化としてお酒を単独では飲まず何か食べ物と合わせるのが基本として根付いている。

 

このような文化に対して幼少の自分が感じたのは、「別に少し味が濃かろうが単独で食べても美味しく食べられるし、なんなら白米など味の薄めの主食と合わせて食べればいいし、お酒という飲み物を飲むのにおつまみなる存在が本当に必要なのか?」ということだった。

 

大人になった自分の答え

※あくまで個人的な答えであり、かつ私はわりと粗食というか、例えばぱさぱさのパンを単独で食べても平気だしむしろ麦を感じられていいねと思うタイプであることに注意。

 

自分自身が成人したのちにそれなりに飲む機会もあって感じるようになったのは、結局私には「おつまみ」はかならずしも必要ないということだった。

さすがにレモンサワーみたいなずっと単独で飲んでるとくどいと感じ始めるような飲み物においては食べ物が欲しくなることはあるが、日本酒のような単独で完成されているものについては全く必要なかった。もちろんそのお酒に合った食べ物を合わせれば調和が楽しめる!という点についてもよく理解したが、だからといって無かったら不満というわけでもなかった。

 

そして、濃くてよく「お酒が欲しくなる」という言及の対象になる食べ物を食べたときも、まあそれを言う人の気持ちもどことなく分からないでもないけれど、自分は白米が欲しいかな~という程度のふんわりした感想に留まった。

 

ここまでの感想を総括して子供の頃の自分に答えるなら、「あなたの疑問は全く正しい。おつまみなる概念が必要になるか必要にならないかは個人差で語れる概念であって、それは例えばぱさぱさのパンを食べたときに飲み物が欲しいと思うかそうでないか程度の違いだよ。」というものになるだろうか。

 

まあ、そんなもんだよね。