思念の滝壺

山に登る。

とても気になる現代日本語の誤用集

概要

言語とは常に変化していくものであるとよく言われる。ここ日本で数千年の間用いられてきた日本語も、時とともに劇的な変化をたどり、現在においてもその変化は絶えず続いている。その代表として知られているのはいわゆる「ら」抜き言葉であろう。

 

以前の世代の人々からは「はしたない」などの誹りを受けながらも、その変化には一定の合理性がある。「来られる」を、可能を意味するときのみ「来れる」に変化させ、受身、尊敬といった他の意味では従来通り「来られる」と表現することで、これらの区別を文脈によらず一意に行うことが可能になるのだ。

 

などと前置きしてきたのは、言語の使い方の変化には一定の合理性があるケースが多く、「最近の若者は」で始まる言説は大抵老害の戯言に過ぎないということを、自分自身にも戒めるためである。

 

とはいえ、先述の「ら」抜き言葉などと比較しても明らかに「これは単純に誤用だろう」と思われるような言葉の特殊な使い方が、ネット上に頻繁にみられる。

 

その一因としては、十分な言語の教育を受けきっていない若い層が、ネットユーザのうち発信が多い層の中で存在感を持っていることが考えられる。これは仕方がない。ただ、平気で誤用しているのが大人だったらちょっと憂慮すべきところだ。

 

そういった気になる誤用を採集し、このエントリに列挙していければと思う。

新しい誤用を見つけたら随時追記していきたい。

 

誤用集

✕適応 ○適用

なんらかの方法を使って状況に対処することを、本来は「手法Aを対象Bに適用する」といったかたちで表現するわけだが、この「適用」の代わりに誤って「適応」を使う例が見受けられる。

適応は主体が状況になじむことを指しており、客体の手法を指すようなことはない。

「いかに」で始めたのに平叙で文を締めくくる

特に、YouTubeのコメント欄など、ユーザが勢いのまま走り書きをするタイプの文章に多く見受けられる。「いかに」で始めたなら、それに対応する疑問形で文を結ばなければ意味が通らない。

✕永遠と ○延々と

長い間続くさまを表現する際に本来は「延々と作業する」などとするが、ここで誤って「永遠と」を用いる例が存在する。

それでは物事が全く終わらなくなってしまう。終わらない出来事など人の世にはまずほとんど存在しないと言っていい。故に十中八九誤用である。

最近の傾向として、長い間続くさまを誇張して表現するために永遠という言葉を使用することがある。この傾向も誤用の発生に関連している可能性がある。

✕要因 ○要員

一定の合理性を感じる誤用集

✕味あわせる ○味わわせる

「味わう」という動詞の「あじわ」までは語幹である。どの活用をしようが変わらない。その使役形は活用としては未然形になるわけだが、「味わう」はワ行五段活用なので未然形は「あじわわ」になる。そこに助動詞「せる」を付けて「あじわわせる」となる。あじあわせるではない。

おそらく、「わ」が2回連続するのが少し気持ち悪くて使っていて違和感を感じるのだろう。でもあじわわせるが正しい。

✕知らなさすぎる ○知らなすぎる

私にも区別が付かなかったので調べたところ、面白い記事を見つけた。

道浦俊彦/とっておきの話 ことばの話1504

形容詞の「ない」、もしくは語幹一拍の動詞(「来る」、「見る」など)を活用するときは「なさすぎる」のように間に「さ」が入るのが自然。

その一方、それ以外の動詞(「知る」など)は「知らなすぎる」のように間に「さ」を入れずに活用するらしい。

(もっとも、このへんはかなり曖昧な部分ではあるが。肌感としては語幹一拍でない動詞でも「さ」を入れるケースが増えてきている。)

どちらかというと、前者の「さ」が入るパターンが不思議だ。後者の方がその他の文法と整合が取れている。もともとは全ての活用で「さ」が入っていなかったが、いつかの時点で「さ」が入るパターンが生じたと考えたくなる。

記事中では、仮説として「『1音節+すぎる』という語感が気持ち悪いため中間にワンクッション入れた発音へ変化した」という主張が挙げられていた。確かに母語話者としての直感にも合致して面白い仮説だ。

 

番外編・外来語誤用集

フューチャリング ○フィーチャリング

"BUMP OF CHICKEN feat. 初音ミク" のように用いられることの多いfeaturing。フィーチャリングと読むほうが英語の発音に近い。フューチャリングだとまるで未来のようだ。

 

感想

単純な誤用には「発音が近く、意味もやや近い」ものが多いと感じる。仮説としては、人との会話を通じて知った単語を間違った発音で解釈し、正確な意味を調べないまま使うことでこのような誤用が発生するのではないかと考えられる。

自分も、美麗とまではいかずとも正確な言葉遣いに努めたいものだ。